すずしんろぐ

ファイプロワールドレスラー工房 レスラー紹介「マサ斎藤」

f:id:maskednishioka:20170902195110p:plain

マサ斎藤

f:id:maskednishioka:20170902195138j:plain

マサ斎藤( - さいとう、本名・旧リングネーム:斎藤 昌典(さいとう まさのり)、1942年8月7日 - )は、元レスリング選手、元プロレスラーである。東京都中野区出身。信条は「Go for broke」(当たって砕けろ)である。

(中略)

大学卒業後の1965年4月に日本プロレスに入門。同年6月3日に、高崎山猿吉戦でデビュー。翌1966年6月、日本プロレスを離脱し、豊登が興した東京プロレスに参加する。アントニオ猪木、豊登に次ぐ三番手のポジションで戦い、一時は登記上の社長も務めた。しかし、東京プロレスは翌年あえなく崩壊、猪木らを除く大半の所属レスラーは国際プロレスに移籍するが、斎藤は渡米を選択し、フリーランスの一匹狼の道を歩むこととなった[1]。

(中略)

1982年から長州力が結成した革命軍、そして維新軍(後のジャパンプロレス)の参謀格として活躍したが、1984年4月にウィスコンシン州でケン・パテラが起こした器物損壊事件に巻き込まれ、宿泊先で斎藤と同室だったパテラを逮捕しようと部屋に押し入った警官数人をなぎ倒してしまったため、陪審員裁判で有罪判決を受けた。斎藤はこれを不服として現地の日本総領事館へ助けを求めたが、大使館や総領事館では釈放や減刑の要求は出来ないため、総領事館にも受け入れられず、1985年6月より現地で1年半の刑務所暮らしを送った(罪状のうちほとんどが無罪だったが、パテラと一緒に現場にいたことや女性警官を投げ飛ばしたため有罪となった)[2]。しかし、自身はこれを休息期間と考え、刑務所内で肉体改造に成功。のちに監獄固めという技を開発した[1]。1986年末に出所し、AWA地区で海外武者修行中の高野俊二の面倒を見た後、1987年3月、INOKI闘魂LIVE Part2での猪木とのシングル戦に合わせ、日本に帰国。

マサ斎藤 - Wikipedia

パンパンに膨れ上がった体に鬼の形相、それだけで画になりますし、リングでスピーディーに動いているのを見ればプロレスファンは興奮せずにはいられませんでした。しかも、新日本プロレスの歴史に残るTPG事件や猪木との巌流島決戦などがあって、現役を退いた後も解説席でめちゃくちゃなトークを繰り広げて数々の伝説を残しています。

そんなイメージのマサ斎藤ですから、やっぱりパワフルな感じで再現したかったのですが、さすがに表情をコントロールするロジックはありませんので、なんとか妄想で補完しております。ちなみにSteamワークショップで公開されていたものを、多少変更しているだけです。ただ、ロジックだけは納得できるまでテストを繰り返し、そこそこ思い通りの動きをしていると思います。

 

動画はテクニシャンのマイティ井上との一戦です。どちらが優位に立つかのシーソーゲームで、個人的にはかなりの名勝負だと思います。

youtu.be