すずしんろぐ

ファイプロワールドレスラー工房 レスラー紹介「鶴見 五郎」

f:id:maskednishioka:20170815173907p:plain

鶴見 五郎

f:id:maskednishioka:20170815174125p:plain

鶴見 五郎(つるみ ごろう、1948年11月23日 - )は、日本の男性元プロレスラー、元トレーニングジム経営者。東海大学理学部卒業[1]。神奈川県横浜市出身。本名は田中 隆雄。身長181cm、体重135kg。

東海大学理学部物理学科に入学。勉学と同時にレスリングに打ち込んでいたが、同大学にレスリング部がなく、場所を転々としながら独自に練習していた。1971年6月、サンダー杉山の知り合いのつてで国際プロレスに入門。
7月12日、札幌中島スポーツセンターでの大磯武戦にてデビューする。

(中略)

1975年、帰国して中堅レスラーとして活動するが、1979年10月3日の青森県黒石市大会で会場入りした際に自分のカードが組まれていなかったことに激怒し、国際プロレス社長の吉原功に抗議。それを止めようとした稲妻二郎と殴り合い、その結果選手会を除名される。鶴見はこれに腹を立て、吉原を暴行[2]。これがきっかけで稲妻二郎と抗争を展開して、それまで着用していた青いレスリングギアを胸に髑髏のマークを付けた黒いコスチュームに変えてヒールに転向。1980年1月4日に引退していた大位山勝三をパートナーに、ミスター珍をマネージャーに迎えて『独立愚連隊』を結成[2]。日本人による初のヒール軍団の一員として活躍した。しかしそれら一連の出来事は、国際プロレスが経営難となり、外国人レスラーに支払うギャラや旅費の工面に悩む吉原社長が自ら考え出したアングルであったと、後に鶴見自身が語っている(日本人自らがヒールとなり、外国人側の役どころを代行すれば経費が抑えられると考えていた)。

鶴見五郎 - Wikipedia

今のプロレスでは考えられませんが、 昔のプロレスでは、日本人対外国人というような図式が当たり前でした。もともとアメリカでも日本でも、自国のレスラーが活躍すれば応援し、やられたら相手レスラーを本気で憎み、それで興奮してストレス解消をして観客は楽しんでいました。なので日本人対決は当たり前ではなく、異質なもので、日本人ヒールというのは大変珍しいものだったのです。いまでは日本人ヒールは当たり前で、ヒール軍団もいくつもありますが、最初にヒール軍団を作ったのは鶴見五郎であり、その実力はジャイアント馬場も認めていました。

今回ファイプロで再現してみて、コスチュームは上手くいったと思うのですが、どうにも顔がしっくりきていません。あと、得意技であるゴロースープレックスがなくて苦労しましたが、何とか抱え式バックドロップで脳内補完しております。

 

動画はテクニシャンのマイティ井上との一戦です。

youtu.be

なお、Steamワークショップでダウンロードが可能です。

Steam Workshop :: 鶴見 五郎