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ファイプロワールドレスラー工房 レスラー紹介「マーク・ルーイン」

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マーク・ルーイン

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マーク・ルーイン(Mark Lewin、1937年3月16日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ニューヨーク州バッファロー出身。
日本での異名は毒蛇。極太の腕で相手を絞め上げる得意技のスリーパー・ホールドは、「アナコンダ殺法」とも呼ばれた。

(中略)

日本には1973年3月、全日本プロレスの『第1回 チャンピオン・カーニバル』にPWF南半球ヘビー級チャンピオンの触れ込みで初参戦[27]。4月21日の福井での決勝戦でジャイアント馬場に敗れたものの、準優勝の戦績を残し、実績に違わぬ活躍を見せた[28](チャンピオン・カーニバルには1974年の第2回大会と1975年の第3回大会にも参加し[29]、3年連続で出場している)。その後も全日本の常連外国人選手となり、1982年1月まで計9回来日した[27](1981年1月の来日時には、1月13日に島原にてアブドーラ・ザ・ブッチャーと組み、馬場&ジャンボ鶴田のインターナショナル・タッグ王座に挑戦[30]。同年11月には旧敵ザ・シークのパートナーとなって『世界最強タッグ決定リーグ戦』に出場した[31])。
1984年8月にはUWF『ビクトリー・ウィークス』に参戦。当時のUWFはシューティング・スタイルに方向性を見出した最初期の段階であり、9月11日の後楽園ホール大会にて、売り出し中の若手だった高田伸彦に勝ちを譲っている[32]。全盛期を過ぎたとはいえ、シリーズのエース格だったルーインが遥かに格下の高田に敗れたことは業界に大きな衝撃を与えたが、ルーインは当時の『週刊プロレス』のインタビューにおいて「若者たちの新しいチャレンジに成功を託したい」などと好意的に語っていた。

マーク・ルーイン - Wikipedia

 恥ずかしながらマーク・ルーインのことはよく知りませんでした。ただ、ウィキなどを見ていて、UWFに参戦していて、高田に負けたというのを思い出しました。後日談としては、若手の高田に負けたことを、ジャイアント馬場が怒っていたという話もありましたね。

今回、ファイプロで再現した理由は、スリーパーホールドの使い手を作ってみたくて、普通ならアントニオ猪木や飯塚高史を選ぶべきでしょうが、ひねくれた自分はマーク・ルーインを選んでみました。

実際の動きを見るために試合の動画を探してみると、意外とたくさん残っていて、昔ながらのプロレスラー体型に、なんともいえない雰囲気をまとっている名レスラーであったことがわかります。

 

動画はプロレスラーの底辺ともいえるサバイバル飛田との一戦ですが、意外と噛み合ったのか?はたまた、ただのグダグダか?ロングマッチとなりました。

youtu.be

 

なお、Steamワークショップでダウンロードが可能です。

Steam Workshop :: マーク・ルーイン